【雑念があって当たり前。】

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こんにちは、原久子です。

 

今日は「雑念があって当たり前」というテーマでお届けしたいと思います。

 

私の書籍をご覧頂いたり、イベントやセミナーで過去お会いした方とお話しした時によくきくお話があります。

 

それが

 

「瞑想に集中できません。もう雑念ばかりが浮かんでしまって、うまく瞑想を出来たという感覚が持てません。私には向いていないのではないでしょうか?」

 

というご意見です。

 

こうしたお話を聞くたびに、私は多くの方が瞑想を勘違いし、間違った認識を持ってしまっていると感じてしまいます。

 

多くの人は瞑想に対して、このようなイメージを持っているのではないでしょうか?

 

「瞑想をすれば、その時の心境はまるで“明鏡止水”。あらゆる邪念から解放され、スッキリと澄み切った気持ちで、晴れ晴れした気持ちになれる」というイメージです。

 

瞑想に長年関わってきた私からすれば、これは近年一般的となった「マインドフルネス瞑想」の伝わり方に起因してしまっている部分が大きいと分析しています。

 

そして、この固定観念が多くの瞑想実践者を苦しめているとも感じます。

 

「スッキリした気持ちになれない。」

 

「モヤモヤした気持ちがまた気持ちをもっと落ち込ませる。」

 

こんな悪循環を生んでしまっているのが現状です。

 

改めて数十年、瞑想の研究に取り組んできた人間としてお伝えしたいと思います。

 

瞑想は「ただ気持ちよく、スッキリするためにあるもの」ではありません。

 

瞑想とは、「いま起きている感情をそのまま感じ、受け入れ、無意識の奥底にある真の自分(これを私はフォースと呼んでいます)と繋がるためのプロセス」なのです。

 

いま起きている感情をそのまま感じて受け入れていくわけですから、しっかりとした手順で呼吸を行い、瞑想に入っていくときであっても、「雑念」はどうあっても湧いてくるものです。「雑念はあって当たり前」なのです。

 

大切なのはその「雑念」を認識したとき、なのです。

 

その雑念を受け入れ、ただそのままひたすら流し続け、心の中で真の自分と繋がっていく感覚をずっと待ち続けるのです。その状態を作るために、じっくりと、静かに、深く呼吸をしながら自分の内側に入って行きます。

 

すると、結果、心の奥底にいる自分に触れたとき、真の自分はふっと「アイデア」や「つぶやき」を囁いてくれます。これが人間の叡智であり、この真の自分と繋がる作業が瞑想なのです。

 

ですから、「雑念が生まれてしまって落ち込む」ということを考える必要性もないのです。

 

ぜひじっくり、焦らず、ただただ感情を受け入れ、深く真の自分と繋がれる瞬間を望み瞑想と呼吸法を継続していってください。

 

すると、本当の瞑想の価値を理解できるようになると思います。

ぜひ実践してみてくださいね。

 

それでは、また。